#令和元年の奥の細道 01 序章

序章

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は日〃旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海濱にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。

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江東区芭蕉記念館にて 「草の戸も」句碑



 この夏、そして来たる冬に、軽自動車で奥の細道の足跡を追う旅に出ます。

 正確なきっかけはよく覚えていませんが、おそらく大学の前期課程の講義で中国の古典に触れたことがきっかけで漢籍か否かにかかわらず古典というもの全体に漠然とした興味が湧き、中学か高校の古文の授業で触れたことのあった「奥の細道」を手に取ってみたという具合だと思います。

 もともと旅行自体も好きだったので、大学1年生の頃から「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやま」なかったのですが、そろそろ大学も卒業するし卒業後の進路も大学院ではなく就職ということに決まったので、「そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあ」った次第です。

 ちょうど今年は芭蕉奥の細道の旅に出てから330周年ということで、かつ元号も改まったということで、この旅を「令和元年の奥の細道」と題してみようと思います。

深川と芭蕉ゆかりの地

 ということで、まずは旅の始まりの地、深川へ。江東区芭蕉記念館、芭蕉庵史跡展望庭園、芭蕉稲荷、採荼庵跡を訪ねてきました。今回は都内で近いので、軽自動車の旅に先駆けて灼熱下に徒歩でまわりました。

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芭蕉庵史跡展望庭園にて 隅田川下流側を臨む

 芭蕉庵史跡展望庭園は芭蕉記念館の分館の一部(屋上)という扱いのようです。平日の昼間ということもあり、芭蕉記念館と展望庭園は人も少なく、落ち着いて観覧できました。展望庭園は小名木川隅田川に合流するポイントにあり、オリジナルの奥の細道の旅の出発地点である深川の採荼庵(小名木川の南にある仙台堀沿い)から千住に至る船旅のルートを臨む格好となっています。

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芭蕉稲荷神社

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芭蕉稲荷神社にて 芭蕉庵跡の碑

 芭蕉稲荷は、大正時代に芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が発見されたことから、これをご神体として祀ったというのが由緒のようです。芭蕉庵の正確な位置はわからないものの、このあたりだったようでここに史蹟芭蕉庵跡の碑が位置しているとのことです。深川の芭蕉庵というのは第1次から第3次まであるようで、1次と2次は同じ場所に、3次は周辺の異なる場所にあったようです。

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採荼庵跡

 当時の仙台堀は今は仙台堀川と称されています。この川沿いに原文中の「杉風が別墅」つまり(第2次芭蕉庵から芭蕉が移ってきて住んだ)杉山杉風の別荘だった採荼庵が位置していたとのことです。採荼庵跡には庵を再現したような建物と、今から旅に出ようとしているかのようにも見える芭蕉の像が設置されています。ちなみに、後ろの庵を再現したような建物は裏から見ると張りぼてで、予算の都合上か材質もデザインも現代に近い不思議な建物でした。

おまけ

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きよすみガーデン

 採荼庵から清澄白河駅へ向かう道中で見つけた、小さな庭空間。清澄通り沿いに建てられたコンクリート造の長屋(旧東京市営店舗向け住宅)のうち、1軒ぶんまるごとなくなったところに住民が鉢を持ってきて町会が管理しているらしい。休憩できるようにベンチも置かれている。ちなみに、この写真の背後の塀の向こうは清澄庭園。周辺にはリノベしたおしゃれな店舗も多い。歴史的ストックをうまく現代的に活かす雰囲気が楽しい。