駒場の土地についての雑記

試験が終わったので久しぶりにそれなりの文字量の記事を更新します。

 

今回興味をもって調べてみようと思っているテーマは、現在東京大学駒場Ⅰキャンパスが立地している土地がどのように利用されてきたか、です。あまりに大きなテーマな気がしますが、長い時間をかけて取り組めればいいなと考えています。(飽き性なので続くかはわかりませんが。)

 

まず、駒場Ⅰキャンパスの土地がどのような歴史を歩んできたのか、明治期から概略を見てみましょう。東京大学農学部のウェブサイト「東大農学部の歴史」(

東大農学部の歴史 - トップページ

)を参考に簡単に記すと、駒場Ⅰキャンパスの土地を占めた機関は、農学校→駒場農学校→東京農林学校→帝国大学農科大学→東京帝国大学農学部第一高等学校東京大学教養学部、と変遷しています。大まかにいえば第一高等学校東京帝国大学農学部との敷地交換が行われる以前と以後でだいぶ毛色が変わっているようです。交換以前は東京大学農学部の前身たる農学系の教育機関が立地し、交換以後は第一高等学校とその流れを汲む東京大学教養学部が立地しています。

 

このように長い歴史を持つ土地ですが、まず着目するテーマとして、今後しばらくは、東京大学教養学部発足以降の建物の変遷について書いていきたいと思っています。もっとも、東京大学教養学部発足時には第一高等学校時代の建物も相当数残存していると思われるので、第一高等学校にも触れることになりそうです。

 

今後書くことになりそうなトピックとしては、駒場寮に関すること、駒場図書館の変遷、「101号館」「102号館」などの名称について、体育館の変遷、情報教育棟について、学生会館とキャンパスプラザについて、一二浪池周辺の建物について、などを考えています。駒場寮取り壊しとそれに関連する問題は学部と学生側が裁判で争った経緯がありますが、今回の記事ではあくまで建物の変遷をメインに扱っていこうと考えています。

 

なお、駒場には駒場Ⅱキャンパスというキャンパスも存在しますが、調べる情報量が膨大になってしまうので、これについては当面はあまり触れない方針でいきたいと思います。

 

また、情報源をしっかりと示すのがベストですが、学術論文ではなくブログですので情報源の示し方が疎かになることも予想されます。同様に、情報の正確性には注意を払っていきますが、一部正確でない場合がありうることもことわっておきます。まあブログですのでね。